「完全な匿名性」の終焉:Bitcoinが証明してしまった監視社会
- Miya

- 2025年12月18日
- 読了時間: 5分

橘令さんの本「Hack」という本を読み、
国家がどのように情報管理をしているのか、セキュリティや利便性について、さらに個人の資産情報の把握方法など思考を巡らしてたら、ビットコインにまで広がりました。
そして、現代に生きる人間が自身の資産を隠すのはほぼ不可能だと改めて感じました。
サトシ・ナカモトが見た夢と誤算
2008年、サトシ・ナカモトは論文の中で、国家や銀行といった「中央の管理者」を必要としない電子決済システム──ビットコインを提唱しました。
彼(一人なのか複数人なのかは不明)が目指したのは、既存の金融システムからの「自由」でした。
銀行口座を凍結されることもなく、
国境を超えて、
誰の許可も得ずに価値を移動できる世界。
この「非中央集権(Decentralization)」の思想は、多くのサイバーパンクやリバタリアンを熱狂させました。
しかし、そこには一つの大きな誤算がありました。 それは、
「不正を防ぐために採用した『透明性』が、最強の監視ツールになってしまった」
ということです。
ビットコインの革新性は、「誰が誰に送ったか」という取引履歴を、世界中の参加者全員で共有・監視することで、改ざんを不可能にした点にあります。
これは裏を返せば、「全人類が閲覧可能な帳簿に、永遠に記録が残る」ことを意味します。 現金であれば、手渡しした瞬間に取引の痕跡は消えます。しかし、ブロックチェーン上の取引は消せません。
今のテクノロジーは、この公開情報をAIで解析し、個人の特定を容易に行えるレベルに達しました。 ウォレットアドレスという「仮名」を使っていても、一度でも取引所(中央集権的な接点)を利用すれば、その仮面は剥がれ落ちます。ブロックチェーンは「暗闇」ではなく、隠れる場所のないガラス張りの部屋だったのです。
「出口」を封鎖する国家の戦略
「技術的に追跡できない送金」は、今でも可能です。 高度なハッカーが、プライバシーコイン(匿名通貨)やミキシング技術を駆使すれば、デジタルの世界だけで資金を回し続けることはできるでしょう。
しかし、国家権力は「技術」ではなく「社会」をハッキングしました。
それが、「出口の封鎖」です。 どれほど巨額のビットコインを持っていても、それを現実世界で「家」や「パン」に変えるには、必ず法定通貨(円やドル)という既存システムとの接点を通らなければなりません。
本人確認の義務化
送金情報の共有
国際的な口座情報の交換
国家は、この「仮想」から「現実」への出口に検問所を設けました。
「コード(プログラム)で検閲は防げても、リアルな経済活動までは防げない」
これが、非中央集権が直面した社会科学的な限界です。
「サトシ・ナカモトは特定されていないではないか」
という反論があるかもしれません。 しかし、彼は「システムの外側(創世記)」にいた特異点です。
彼は今の監視網が完成する前にビットコインを採掘し、そして何より「一度も現金化していない(出口を通っていない)」からこそ、匿名性を保てています。
現代に生きる私たちが、すでに完成されたこの監視システムの中で、彼と同じことをしようとしても不可能です。入り口(購入)でも出口(売却)でも、必ずID(身分証)を求められるからです。
デジタル化された現代社会において、国家の「把握能力」は、個人の「隠蔽能力」を遥かに凌駕しています。 私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、高度に透明化された監視社会の中に生きています。
この状況下で、経営者や資産家が取るべき生存戦略は、「隠れること」ではありません。 隠れようとすればするほど、マネーロンダリングの疑いをかけられ、資産凍結という最大のリスクを招きます。
私たちが受け入れるべき「新しい現実」
テクノロジーは、私たちを「国家から解放」するどころか、かつてないほど「国家に見える化」させました。
この不可逆な流れの中で資産と自由を守る唯一の方法は、システムへの反逆(脱税や隠蔽)ではなく、システムのルールを熟知し、その枠内で最大限の権利を行使すること(合法的な節税や資産防衛)です。
かつてサイバーパンクたちが夢見た「アナーキズム的自由」は敗北しましたが、ブロックチェーン技術自体は「信頼のインフラ」として社会に組み込まれつつあります。私たちは「ロマン」と「現実」を切り分け、冷静にこの社会システムと付き合っていく必要があります。
今回は、国家による監視システム(中央集権)と、そこから逃れようとした暗号資産(非中央集権)の闘争の歴史、そして私たちが直面している「逃げ場のない現実」について考察しました。
【編集後記】
公開後に読み直してみると、
厳密さの観点から、表現がやや強く断定しすぎている箇所があるなぁと思いました。特に「完全な匿名性の終焉」という表現はやや過剰だったと反省しています。そもそもビットコインは設計上、完全な匿名性を提供していないので、匿名性が社会的に成立するコストが極端に高くなった...と表現すべきでした。
サトシは次の二つを同時に満たそうとしていました。
1 中央管理者を排除すること
2 二重支払いを防ぐこと
透明性は誤算というより、当時取り得た唯一の現実解だった可能性が高いです。
なので、
「誤算だった」
よりも
「不可避のトレードオフだった」
と表現した方が、フェアだったと思います。


